PSO2NGS活動日記と少年時代の愚痴

小学2年から中学卒業まで寺で生活していた。

8年間後

小学校の5年間

中学校の3年間

テレビも漫画もゲームもなんにも無いし

学校行っても友達との会話に

ついて行けないし

寺に帰ると外出も出来ないから

遊びに行く事も出来ない

そんなんで友達は出来なかった。

 

 

そして

中学卒業後は

やっと念願の自宅に戻れて

高校には入って

友達を作れると思っていたけど

やっぱり馴染む事が出来ずに不登校

みんなの普通が自分には難しかった。

中学で小僧仲間が出来る

ひとつ上の先輩は僧侶になるつもりで

親元を離れて中学1年生で得度をした人で

この世界は上下関係は厳しいんだけど

自分は なんてったって小2から小僧だし

この寺は朝は遅いし(4時)

作務衣も着れるし

休憩時間も1日数回あるし 

たまには休日もある

そしてお小遣いまであるので

もう楽勝モード 

全てお任せ下さいみたいな感じなので

先輩後輩とか無く優しくしてくれた。

あと 話し相手なってくれたのも

嬉しかった。

それなりに厳しい寺だったけど

今までが辛すぎたので

自分の中ではこの生活は楽しかったけど

先輩はやはり辛かったみたいだね

この生活に楽しんでる後輩を見て

泣き言も言えない先輩

なんか悪い事しちゃったなぁ

でも一緒に過ごした2年間は楽しかった。

 

同じ辛さを共感出来る仲間はすごく大事だよ

サルモネラ菌の食中毒

小学6年生の夏

学校から帰ると

お腹が痛い そして下痢

それでもやる事はやって

早めに寝た。

朝になっても下痢は続くが

下剤を飲んで学校に行って

授業中に我慢が出来ずにトイレに行こうとした時に嘔吐

そして保健室に行きそこで血を吐いて

救急車で病院

最初の1週間は集中治療室で寝たきり状態

その後 個室に移されたが

下痢と嘔吐は続く

親も心配して付きっきりで看病してくれて

小学2から毎日毎日辛い思いしてるのに

ここで更に辛い思い こんな人生不公平だ!って

何度も何度も泣きながら訴えかけた。

そんな事で中学から大きな寺に行く事は中止にしてくれた。

心が安まりある程度回復して

複数部屋に移動して

超楽な生活

寝て食べて寝て食べて

元気に食べてるだけで親は喜んでくれて

髪の毛も伸びて

トイレの鏡の前ではニヤけていた。

嬉しかったよ!

退院後は家に帰れるんだと思っていたが

退院前夜 部屋には奇麗な洗濯済みの白衣が置いてある

戻る場所は寺なんだなぁ〜って

泣きながら覚悟を決めた。

学校の行事には来てくれる

授業参観や学芸会や運動会には

親の笑顔を見ることが出来る

見るだけでも

嬉しい

 

運動会のお昼は辛いよね

親が居るのに

一緒に食事が出来ない

 

親が来ない生徒と

老人ホームの観覧者さんと食べる食事

辛かった。

捨て子は呪いの言葉

捨て子と言われるのが

心にズドンって来る

かなりショックな言葉だ。

自分でも

捨てられたんだって思って生活してるから

これを声にされると

思考停止して泣いてしまう。

同級生とケンカとかして

この捨て子!って言われると

一発KO

 

でね 商店街を通って帰宅するんだけど

どっかに誰かが

ヒソヒソ声で捨て子って言ってるのが

聞こえるんだよね

それもけっこう辛い

 

早く帰りたくも無いのに

人がいるところは駆け足で帰った。

PSO2NGSにハマってる

自分の事を知らない街で

暮らしてみたかったけど

ネットの世界に自由があった。

 

今は女性のキャラを作り

ダーカーとの戦いに明け暮れている

この世界住人は

自分が僧侶をしてた事は知らない

でもテクターをやってる

回復魔法を覚える辛い修行生活が

やっとここで実ったって

思うようにして

現実逃避

今は楽しいよ

蕎麦屋の上天重

親が面会に来る時は

だいたいがお昼前にやって

師の部屋で食事をしながら会話が出来る

そしてその食事は

近所の蕎麦屋の上天重

ここの天ぷらは美味しいって嬉しそうに話す母

自分が電話で注文して

出来上がる頃 自分が取りに行き

師と親の元に並べる

ニコニコしてる母を見るのが好きだ

自分は部屋の外の廊下に出て

そこで正座して

食事を見てる

そして問いに答えるのみ

食事が終わると満足そうな母を見て

食器を洗い

蕎麦屋に届け掃除に戻る

 

親が面会に来る時は昼食が無くなる

親に会えて嬉しいのに辛い